2021年10月15日
5.告知の一日
2021年8月5日 木曜日
メディカルセンターで紹介状を受け取った翌日です。
これも、今になって思うと幸運だったと言えるのですが
そもそも、その総合病院の乳腺外科は、初診受付は毎週火曜日と木曜日の午後のみ。
メディカルセンターから連絡があったのが水曜日だったので、本当に最短で受診出来たことになります。
ただし、その乳腺外科は待ち時間が長いことで有名でした。
わたしも、例にもれず名前を呼ばれるまで1時間ほど待ち、改めてエコー、マンモグラフィを受けて、また、しばらく待ちました。
待合室にいる大勢の患者さんの中には、明らかに脱毛されていて、ケア帽子を着用している方もちらほら見られました。
がん治療中の方なんだろうな…と
ぼんやり思いながら、あまりジロジロ見るのも失礼だし、気を紛らす為に、スマホでアパレルの通販サイトを見ていました。
夏のセールです。
『このカットソーどうかな…』と思ったとき、名前が呼ばれました。
ちなみに、この病院では相変わらず、診察室の中から医師がマイクで、患者の個人名をフルネームで呼びます。
個人情報保護なんて一切ないので、ちょっと辟易してしまいます。
中に入って挨拶をしました。
医師は、病院長であり、乳腺外科部長でもある、白髪の穏やかそうな人でした。
そして、先ずは紹介状とともに提出したメディカルセンターのデータがアップロードされました。
もう間髪を入れずに
医師はわたしに告げました。
『あのね、乳がんです。』
『本当に?ですか?』
『そうですね。間違いない。
これ見てください。こんなふうにギザギザがあるでしょう?
良かったですね、検診をきちんと受けていてね。
大丈夫。大丈夫ですよ。
今はね、いいお薬がありますからね。』
『はぁ…そう、なん、ですか。』
この後、エコー下での生検をするのでと言われ、また待合室に戻りました。
感じていたのは、ショックよりも、ヤラカシタ感とでも言うのか、あ~あ…やっぱりか、という思いでした。
ある程度、予想はしていたからなのか、この時はまだ、涙は出ませんでした。
夫が迎えに来てくれることになっていたので、ラインを送ろうとしたとき、連絡が遅いことを心配した夫が、目の前に立っていました。
以心伝心なのか、とても嬉しく、心強く思いましたが、同時に、ああ、夫に申し訳ない!と思いました。
周りの人に聞かれたくなかったので、ラインの画面を使って筆談です。
『手術だって。』
『がんだって。』
夫は、愕然としていました。
やはり、悪い予感はあったものの、つきつけられた現実に、とっさに言葉が出てこないようでした。
後日、夫は
『これ現実なの?今でもよく分からない。
頭が真っ白になった。』
と言っていました。
そうですよね。
家族は、戸惑いますよね。
もしかしたら、本人より辛いかも知れません。
針生検は、麻酔が効いているとは言え、大きな音が響いて衝撃でした。
でも、がんを告知された衝撃に比べたら大したことなかったです。
3回ほど針を刺したと思いますが
針を刺したときよりも、バンデージをぐるぐる巻きに貼って、バン!と圧迫された時のほうがずっと痛かったです。
エコー室から出ると、夫が廊下で待っていてくれました。
ほっとして、
『お待たせ~』と笑いました。
わたしが着衣を整えている間、夫は、
『先生、命に別状はないのでしょうか?』
と、ドラマみたいなことを尋ねていました。
医師は
『お仕事などで忙しいからと、治療を止めずに、真面目にきちんと治療することが大事なのですよ。』
と答えたそうです。
その日、会計を済ませたのは17時頃でした。
病院に5時間いました。
長い長い告知の1日でした。
メディカルセンターで紹介状を受け取った翌日です。
これも、今になって思うと幸運だったと言えるのですが
そもそも、その総合病院の乳腺外科は、初診受付は毎週火曜日と木曜日の午後のみ。
メディカルセンターから連絡があったのが水曜日だったので、本当に最短で受診出来たことになります。
ただし、その乳腺外科は待ち時間が長いことで有名でした。
わたしも、例にもれず名前を呼ばれるまで1時間ほど待ち、改めてエコー、マンモグラフィを受けて、また、しばらく待ちました。
待合室にいる大勢の患者さんの中には、明らかに脱毛されていて、ケア帽子を着用している方もちらほら見られました。
がん治療中の方なんだろうな…と
ぼんやり思いながら、あまりジロジロ見るのも失礼だし、気を紛らす為に、スマホでアパレルの通販サイトを見ていました。
夏のセールです。
『このカットソーどうかな…』と思ったとき、名前が呼ばれました。
ちなみに、この病院では相変わらず、診察室の中から医師がマイクで、患者の個人名をフルネームで呼びます。
個人情報保護なんて一切ないので、ちょっと辟易してしまいます。
中に入って挨拶をしました。
医師は、病院長であり、乳腺外科部長でもある、白髪の穏やかそうな人でした。
そして、先ずは紹介状とともに提出したメディカルセンターのデータがアップロードされました。
もう間髪を入れずに
医師はわたしに告げました。
『あのね、乳がんです。』
『本当に?ですか?』
『そうですね。間違いない。
これ見てください。こんなふうにギザギザがあるでしょう?
良かったですね、検診をきちんと受けていてね。
大丈夫。大丈夫ですよ。
今はね、いいお薬がありますからね。』
『はぁ…そう、なん、ですか。』
この後、エコー下での生検をするのでと言われ、また待合室に戻りました。
感じていたのは、ショックよりも、ヤラカシタ感とでも言うのか、あ~あ…やっぱりか、という思いでした。
ある程度、予想はしていたからなのか、この時はまだ、涙は出ませんでした。
夫が迎えに来てくれることになっていたので、ラインを送ろうとしたとき、連絡が遅いことを心配した夫が、目の前に立っていました。
以心伝心なのか、とても嬉しく、心強く思いましたが、同時に、ああ、夫に申し訳ない!と思いました。
周りの人に聞かれたくなかったので、ラインの画面を使って筆談です。
『手術だって。』
『がんだって。』
夫は、愕然としていました。
やはり、悪い予感はあったものの、つきつけられた現実に、とっさに言葉が出てこないようでした。
後日、夫は
『これ現実なの?今でもよく分からない。
頭が真っ白になった。』
と言っていました。
そうですよね。
家族は、戸惑いますよね。
もしかしたら、本人より辛いかも知れません。
針生検は、麻酔が効いているとは言え、大きな音が響いて衝撃でした。
でも、がんを告知された衝撃に比べたら大したことなかったです。
3回ほど針を刺したと思いますが
針を刺したときよりも、バンデージをぐるぐる巻きに貼って、バン!と圧迫された時のほうがずっと痛かったです。
エコー室から出ると、夫が廊下で待っていてくれました。
ほっとして、
『お待たせ~』と笑いました。
わたしが着衣を整えている間、夫は、
『先生、命に別状はないのでしょうか?』
と、ドラマみたいなことを尋ねていました。
医師は
『お仕事などで忙しいからと、治療を止めずに、真面目にきちんと治療することが大事なのですよ。』
と答えたそうです。
その日、会計を済ませたのは17時頃でした。
病院に5時間いました。
長い長い告知の1日でした。
4.メディカルセンターからの電話
2021年8月4日 水曜日
健康診断から5日後の午前中に、メディカルセンターから電話がありました。
そうですね。
もう悪い予感しかしません。
乳がん検診の結果が良くない為、すぐに紹介状を書くので取りに来て欲しいと言われました。
その日は、パートのシフトに入っていたのですが、さすがにこれはと、欠勤の連絡をし、メディカルセンターへ向かいました。
メディカルセンターでは、急遽乳腺エコーを受けることになりました。
(わたしはマンモグラフィだけを受けていました。)
その画像を見てセンター長の医師は、『やっぱり。』
と、確信したように言い、興奮した面持ちでまくしたてました。
『あなたね、すぐに乳腺外科に行きなさいよ。
これ、ここわかる?映ってるでしょう?3センチぐらいあるでしょう?これはきっと、手術しないといけないやつです。
わざわざ連絡して来てもらったのはね、忙しいって言って、放置しないで欲しかったからです。
例えばここに、《要精密検査》って赤文字で書いて結果を送ったところで、後回しにしてしまう人もいるからね。
きちんと行ってくださいよ。
芸能人で、亡くなった人がいるでしょう?
知っているでしょう?
あの方も、忙しいということを理由に、治療が遅れて残念なことになったでしょう?』
え?
はぁ?
乳がんで亡くなられた人って。
わたしが同じだと?
いま、わたし、告知されたのか?
と、口には出せず、呆然としたまま、ショックではあったものの、まだまだどこか他人事のようで、自分の話なのに、妙に客観的な自分がいました。
とにかく専門医のいる乳腺外科に行かなければならない。
隣の市にある大学病院が頭に浮かびましたが、最短で受診できることを優先して、市内の総合病院あてに紹介状を書いてもらいました。
そして夫に内容を報告しました。
でも夫も、そこまで言われても、まだまだ、がんは、自分たちとは縁のないものだと感じていたようです。
わたしも、
『心配しないで。
きっと、良性の腫瘍だよ。先生は大袈裟だよね。』
と言いました。
この時は、もう良性の可能性は限りなく低いと感じてはいましたが、あまり夫を心配させたくなかったのです。
健康診断から5日後の午前中に、メディカルセンターから電話がありました。
そうですね。
もう悪い予感しかしません。
乳がん検診の結果が良くない為、すぐに紹介状を書くので取りに来て欲しいと言われました。
その日は、パートのシフトに入っていたのですが、さすがにこれはと、欠勤の連絡をし、メディカルセンターへ向かいました。
メディカルセンターでは、急遽乳腺エコーを受けることになりました。
(わたしはマンモグラフィだけを受けていました。)
その画像を見てセンター長の医師は、『やっぱり。』
と、確信したように言い、興奮した面持ちでまくしたてました。
『あなたね、すぐに乳腺外科に行きなさいよ。
これ、ここわかる?映ってるでしょう?3センチぐらいあるでしょう?これはきっと、手術しないといけないやつです。
わざわざ連絡して来てもらったのはね、忙しいって言って、放置しないで欲しかったからです。
例えばここに、《要精密検査》って赤文字で書いて結果を送ったところで、後回しにしてしまう人もいるからね。
きちんと行ってくださいよ。
芸能人で、亡くなった人がいるでしょう?
知っているでしょう?
あの方も、忙しいということを理由に、治療が遅れて残念なことになったでしょう?』
え?
はぁ?
乳がんで亡くなられた人って。
わたしが同じだと?
いま、わたし、告知されたのか?
と、口には出せず、呆然としたまま、ショックではあったものの、まだまだどこか他人事のようで、自分の話なのに、妙に客観的な自分がいました。
とにかく専門医のいる乳腺外科に行かなければならない。
隣の市にある大学病院が頭に浮かびましたが、最短で受診できることを優先して、市内の総合病院あてに紹介状を書いてもらいました。
そして夫に内容を報告しました。
でも夫も、そこまで言われても、まだまだ、がんは、自分たちとは縁のないものだと感じていたようです。
わたしも、
『心配しないで。
きっと、良性の腫瘍だよ。先生は大袈裟だよね。』
と言いました。
この時は、もう良性の可能性は限りなく低いと感じてはいましたが、あまり夫を心配させたくなかったのです。
2021年10月14日
3.健康診断
2021年7月30日 金曜日
メディカルセンターで、年に一度の健康診断でした。
(5月ごろ予約していました)
10年以上前から、可能な限り受診していましたが、今年は特に、絶対に受診しようと決めていました。
なぜなら、昨年の乳腺エコーで、左側乳腺線維腺腫、石灰化あり、要経過観察、一年後再検査と記載があり、気になっていたからです。
しかし、ここまではよくある話です。
要精密検査とあって乳腺外科を受診しても、異常がないことも多いと聞きます。
ですがわたしは、2週間ほど前に、しこりを発見していました。
ある日突然、しこりに触れたのです。
入浴後、ソファに座って、上半身のストレッチをしていた時でした。
左側乳房の外側に、確かにエンドウ豆のような塊に、指先が触れました。
『え!』
しばらく思考停止状態になりました。
ああ、でも、去年の健康診断で、良性の乳腺線維腺腫だと診断されていたよね。
わたしはどうやら、腫瘍が出来やすい体質なのだろう。
そうだ、良性に違いない。
2週間後の健康診断(マンモグラフィ)で見てもらえばいい。
わたしはまだこの時、『突然表れたしこり』や、『急に大きくなるしこり』の怖さを知りませんでした。
乳がんについては、殆ど知識がなく、(どんな病気も、特にがんは、早期発見、早期治療が第一であることは認識していました。)
がんが見つかったら抗がん剤で小さくしてから手術で取るものなのだ、といった、ざっくりとした見識しか持ち合わせていなかったのです。
著名人の罹患についても、まさか自分が、という思い込みが強く、どこか他人事だったのだと思います。
そして、昨年度はオプションで乳腺エコーを受けましたが、今年度申込んでいたのは、市の推奨のマンモグラフィでした。
担当技師さんは、とても丁寧に念入りに撮影してくれました。
とても痛かったけれど、わたしとしては、このしこりが良性だと早く証明したい、安心したいという思いで、我慢出来ました。
いま思うと、
わたしは、しこりに気付いた時点で、すぐに乳腺外科に行くべきでした。
安心したいなら、やはり健診センターではなく、即刻病院で診てもらうべきでした。
そうは言っても、やはり事前に健康診断の予約をしていたからこそ、救われたという思いです。
何だかんだと言い訳をして病院に行く勇気の無かったわたしが、健診を通じて、乳がんを発見できたのです。
メディカルセンターで、年に一度の健康診断でした。
(5月ごろ予約していました)
10年以上前から、可能な限り受診していましたが、今年は特に、絶対に受診しようと決めていました。
なぜなら、昨年の乳腺エコーで、左側乳腺線維腺腫、石灰化あり、要経過観察、一年後再検査と記載があり、気になっていたからです。
しかし、ここまではよくある話です。
要精密検査とあって乳腺外科を受診しても、異常がないことも多いと聞きます。
ですがわたしは、2週間ほど前に、しこりを発見していました。
ある日突然、しこりに触れたのです。
入浴後、ソファに座って、上半身のストレッチをしていた時でした。
左側乳房の外側に、確かにエンドウ豆のような塊に、指先が触れました。
『え!』
しばらく思考停止状態になりました。
ああ、でも、去年の健康診断で、良性の乳腺線維腺腫だと診断されていたよね。
わたしはどうやら、腫瘍が出来やすい体質なのだろう。
そうだ、良性に違いない。
2週間後の健康診断(マンモグラフィ)で見てもらえばいい。
わたしはまだこの時、『突然表れたしこり』や、『急に大きくなるしこり』の怖さを知りませんでした。
乳がんについては、殆ど知識がなく、(どんな病気も、特にがんは、早期発見、早期治療が第一であることは認識していました。)
がんが見つかったら抗がん剤で小さくしてから手術で取るものなのだ、といった、ざっくりとした見識しか持ち合わせていなかったのです。
著名人の罹患についても、まさか自分が、という思い込みが強く、どこか他人事だったのだと思います。
そして、昨年度はオプションで乳腺エコーを受けましたが、今年度申込んでいたのは、市の推奨のマンモグラフィでした。
担当技師さんは、とても丁寧に念入りに撮影してくれました。
とても痛かったけれど、わたしとしては、このしこりが良性だと早く証明したい、安心したいという思いで、我慢出来ました。
いま思うと、
わたしは、しこりに気付いた時点で、すぐに乳腺外科に行くべきでした。
安心したいなら、やはり健診センターではなく、即刻病院で診てもらうべきでした。
そうは言っても、やはり事前に健康診断の予約をしていたからこそ、救われたという思いです。
何だかんだと言い訳をして病院に行く勇気の無かったわたしが、健診を通じて、乳がんを発見できたのです。