2022年02月18日
ついに手術② 術後ハイケアユニット室にて
しばらくすると、主治医先生が登場。
『うまくいきましたよー。
リンパ節も転移なかったよ。』
あぁ、良かった。
そうか、それで脇の下が痛くないんだ。
前日のエコーでは、技師さんの態度から、もしかしたら?と疑ってしまった。
ここのところ、ちょっと肩が凝っただけでも、ただのスマホ見すぎの眼精疲労でも、転移?という二文字がよぎり、びくびくしていた…。
血圧だけが低く、上が80しかないと看護師さんが心配してくれていた。
いつもより少し低いだけなんだけど、しんどくて説明する余裕はなし。
もう少し下がると、吐き気とかするかも知れないと言われてビビる。
幸い吐き気はしていない。
3年前はひどかったから、吐き気だけは本当に怖かった。
そう言えば確かに、吐き気と頭痛はセットだったから、血圧も関係していたのかも。
3年前の別の病院の対応と、今回の病院の対応を比べると、良くなったなぁと感じる。
薬が良くなったのか、病院の姿勢なのか?はわからないけれど。
腰が痛かったので、下半身を左右に少しずつ倒したりはしたけれど、頭を動かすのは怖くて出来なかった。
頭を少しだけ上げていいと言われて、次に酸素マスクを外して、吸い飲みで、うがいが許された。
うがいが気持ちいい。
飲めないけど、くちゅくちゅするだけで、何だか生き返ったみたいだな、と思う。
体の向きを変えてくれたり、しょっちゅう看護師さんがやってくる。
尿管も、以前は違和感だらけで気持ち悪かったけれど、今回は上手く挿入されているらしく、痛みもないし、いやな感じがしなかった。
『こんばんはー』
と言って夜の看護師さんが入ってきたとき、あーやっと夜になったんだと知り、ほっとする。
交替時間は確か20時だから…。
21時を過ぎた頃、スマホも見て良いと言われる。
(時間がわからないとパニックになる患者さんもいるらしく時計代わりに)
それでも家族に連絡するだけで精一杯。
やっぱりしんどい。
看護師さんは、交替するたびに、わたしの術後の傷を見た。
バリバリっと術衣を開けて、胸帯をパチパチと開けて。
『うん、きれい。さすが○○先生』
なんて言っていた。
わたしにははっきりとは見えない。(寝た体勢なので)
温存なので、パッと見えた感じでは大した変化もないように見えた。
自分の身体だけど、傷を見るのは怖いと思ってしまう。
甲状腺の手術の傷は、喉仏の下に15センチほどの真っ直ぐな一文字。
今もよく見るとわかる傷あと。
それに比べたら、外から見えないし扱いやすいのかも知れない。
ベッドで安静にしている間、うつらうつらしながら、縁起でもないけど、亡くなった人の事を考えていた。
父、母、義母。
ここは、母が亡くなったのと同じ病院。
ああ、あの時、もっとわたしに出来る事があったんじゃないか?
ここに入院したときはもう、末期だと言われた。
本人に告知をする暇もないぐらい呆気なく亡くなってしまった。
わたしは、癌を、早期とまでは言えないタイミングだけど、健康診断で見つけて、根治に向けてなんとか手術にこぎつけた。
わたしは、恵まれている。
わたしは、元気になるんだ。
きっと大丈夫だ。
そんなことを考えていると、いつの間にか眠っていたようで、天井の電気がついた。
つまり午前6時。
あらゆる管を抜いてもらえる時間。
ついにこのベッドから解放される時間がきた。
待ちに待った時間。
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『うまくいきましたよー。
リンパ節も転移なかったよ。』
あぁ、良かった。
そうか、それで脇の下が痛くないんだ。
前日のエコーでは、技師さんの態度から、もしかしたら?と疑ってしまった。
ここのところ、ちょっと肩が凝っただけでも、ただのスマホ見すぎの眼精疲労でも、転移?という二文字がよぎり、びくびくしていた…。
血圧だけが低く、上が80しかないと看護師さんが心配してくれていた。
いつもより少し低いだけなんだけど、しんどくて説明する余裕はなし。
もう少し下がると、吐き気とかするかも知れないと言われてビビる。
幸い吐き気はしていない。
3年前はひどかったから、吐き気だけは本当に怖かった。
そう言えば確かに、吐き気と頭痛はセットだったから、血圧も関係していたのかも。
3年前の別の病院の対応と、今回の病院の対応を比べると、良くなったなぁと感じる。
薬が良くなったのか、病院の姿勢なのか?はわからないけれど。
腰が痛かったので、下半身を左右に少しずつ倒したりはしたけれど、頭を動かすのは怖くて出来なかった。
頭を少しだけ上げていいと言われて、次に酸素マスクを外して、吸い飲みで、うがいが許された。
うがいが気持ちいい。
飲めないけど、くちゅくちゅするだけで、何だか生き返ったみたいだな、と思う。
体の向きを変えてくれたり、しょっちゅう看護師さんがやってくる。
尿管も、以前は違和感だらけで気持ち悪かったけれど、今回は上手く挿入されているらしく、痛みもないし、いやな感じがしなかった。
『こんばんはー』
と言って夜の看護師さんが入ってきたとき、あーやっと夜になったんだと知り、ほっとする。
交替時間は確か20時だから…。
21時を過ぎた頃、スマホも見て良いと言われる。
(時間がわからないとパニックになる患者さんもいるらしく時計代わりに)
それでも家族に連絡するだけで精一杯。
やっぱりしんどい。
看護師さんは、交替するたびに、わたしの術後の傷を見た。
バリバリっと術衣を開けて、胸帯をパチパチと開けて。
『うん、きれい。さすが○○先生』
なんて言っていた。
わたしにははっきりとは見えない。(寝た体勢なので)
温存なので、パッと見えた感じでは大した変化もないように見えた。
自分の身体だけど、傷を見るのは怖いと思ってしまう。
甲状腺の手術の傷は、喉仏の下に15センチほどの真っ直ぐな一文字。
今もよく見るとわかる傷あと。
それに比べたら、外から見えないし扱いやすいのかも知れない。
ベッドで安静にしている間、うつらうつらしながら、縁起でもないけど、亡くなった人の事を考えていた。
父、母、義母。
ここは、母が亡くなったのと同じ病院。
ああ、あの時、もっとわたしに出来る事があったんじゃないか?
ここに入院したときはもう、末期だと言われた。
本人に告知をする暇もないぐらい呆気なく亡くなってしまった。
わたしは、癌を、早期とまでは言えないタイミングだけど、健康診断で見つけて、根治に向けてなんとか手術にこぎつけた。
わたしは、恵まれている。
わたしは、元気になるんだ。
きっと大丈夫だ。
そんなことを考えていると、いつの間にか眠っていたようで、天井の電気がついた。
つまり午前6時。
あらゆる管を抜いてもらえる時間。
ついにこのベッドから解放される時間がきた。
待ちに待った時間。
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