トリプルネガティブ乳がん

2022年03月02日

病理診断結果、完全奏功ならず

2022年3月1日 火曜日

主治医の診察と、病理診断の結果説明がありました。

うーん。

組織学的治療効果はグレード2a

でした。

完全奏功ならグレード3になるのかな?
(たぶん)

なので、抗がん剤の効果は一定数あったけれども…。

という結果なのですね。

主治医先生は、悪くない結果、寧ろ抗がん剤がよく効いた、とおっしゃいました。

本当に??

トリプルネガティブだから、抗がん剤も、どれが効くか、結果が出るまでわからなかった、ということならば、わたしにはよく効いた、悪くない。
と言っていいのかも知れませんね。

それでもちょっと残念な結果に、げんなり。

元々、手術前のエコーでも、癌が見える状態だと言われていたので、ああ、やっぱり。
な結果なのですが、
病理診断に希望を持っていたのです。
少しだけ。

とにかくこれから先は、放射線治療に通い、残った癌を叩けるだけ叩くしかありません。

治療は放射線で終了~ですから。

次に抗がん剤をやるとしたら、それは再発したときだよ、と言われました。

なんとなく、昨日は落ち込んでしまったわたしですが、本当は、そんな暇はない!のです。

落ち込んでいても、笑っていても
同じ時間ならば、

笑っていた方が断然お得。

泣きたいときは、一度だけ泣いて
あとは顔を上げていかないと。




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kotorist_ at 21:01|Permalink

2022年02月21日

4人部屋

入院初日、手術前夜(2/15)は、まず4人部屋の自分のベッドで過ごしました。

占有率は3/4

外科病棟は、入院期間が長くても7日~10日ぐらい、としているらしく、それ以上になると、病棟を移ることになると入院の説明書に書いてありました。

なので、わたしの入ったこの部屋の方も長期間の入院患者さんではないことになります。

主治医が違ったので部位はわからないけど、最初からいた人は、やっぱり癌のようでした。(抗がん剤の話が聞こえたから)

わたしより少しだけ年上には見えたけど、担当医との会話の声が、なんだか弱々しくて心配になってしまいました。

わたしと同日入院の方も、やっぱり癌でした。
初発は10年ほど前の乳がんで、今回は別の部位の癌。
それが転移なのかどうかはわかりません。
お話はするようになったけど、聞くことは出来ません。

初日は、乳がん手術のわたしを含めた3人でした。

名前も顔も知らなかった人たちではありますが、みんな、癌という病に罹患して、辛い思いをたくさんして、乗り越えていこうとしているんだなぁ、と感じました。

この感覚は、残念ながら、どんなに長い深い付き合いの友人たちにも感じることの出来ない特別なシンパシーというものでしょうか。

ただ、
病室なのにラインの通知音が鳴ったり、いきなり電話で話し出したり、ということもあったりしたので、体の辛さで多少は仕方ないな、と思いますが、そこは守って欲しいなぁ。

厳しい見方かな。

ふたりとも、わたしより先に退院していったのですが、元気でいてほしいな、と心から願っています。


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kotorist_ at 07:41|Permalink

2022年02月18日

ついに手術③ハイケアユニット室から一般病棟へ

例えるなら、子供の頃に、
寝る前に怖い話を見聞きしてしまい、一人で暗闇で寝かされるのがこわくて

隣の部屋では大人たちが、何か話し合ったりテレビを見たりしている

そんな気配が、わたしにはとても安心で、怖い話を思い出しても大丈夫だ、と、そのざわめきに救われて眠りにおちることが出来た。

ざわめきが心地よかった。

そんな記憶を思い起こさせた、
それがHCU 室でした。

麻酔覚醒直後ですから、朦朧としていたのかも知れませんね。

午前6時ちょうど。

電気がついて、心電図の管が外され、看護師さんが尿管の管を抜いてくれた。

やっと、自由の身。

もうコップでお茶を飲んでもいいよ、と言われるも、コップは持参していないので
吸い飲みでお茶をがぶ飲みしてこぼしてしまう。

血圧も90まで上昇。

8時になったら、ここに朝食が運ばれるとのこと。

改めてまじまじと部屋を見渡す。

小さいけど洗面台がある。

血圧計とか酸素飽和度を計る機械などは、どうやら直接繋がっているベッドの上のパソコンに数値が表示されるみたいだった。

建物が古いので、部屋自体は古いけど、なかなかハイテク部屋だね、と思った。

寝たきりで見る世界と、起きて座ってから見える世界は違うなぁ

主治医先生がやってきて、圧迫胸帯を外しましょう!と言う。

バリバリ。

痛~い。

圧迫を外した途端、痛みが出た。

でももう大丈夫だから。

と笑って出ていく主治医先生。

先生って、もしや、ゴッドハンド?

ちょっとそんな風に思った。

吐き気もなく、痛みも我慢できる程度。

念のため朝食の後に痛み止めは出してもらったけれど、なんと苦痛を伴わない手術だったことか。

そうは言っても、HCU室で目覚めた直後は、腰が痛くて泣きたい気分になったし、

こんなこと、一生のうちに、わたしは2回目だけど、息子たちには絶対に経験してほしくないと思う。

夫は、脛椎の手術をしたことがあるので、夫にも、もう二度と手術なんて経験させたくない。

病気になんて、なってほしくない。

と強く思っていました。

そして8時になると、朝食が運ばれました。

パンとサラダと、フルーツ。

なんと完食してしまいました。

そうです。

もうわたしには抗がん剤の副作用もないのです。(食べることにおいては)

11月の入院時は、まだまだ副作用真っ最中で、味覚障害もあったのです。

なかなか美味しいと思って食事が出来なかった。

今回は…

傷だけなので、前回よりずっと楽。

油断してはいけないけど、スッキリした気分。


そして、HCUの看護師さんに付き添われ、歩いて一般病棟に帰ってきました。









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kotorist_ at 23:36|Permalink

ついに手術② 術後ハイケアユニット室にて

しばらくすると、主治医先生が登場。

『うまくいきましたよー。

リンパ節も転移なかったよ。』

あぁ、良かった。

そうか、それで脇の下が痛くないんだ。

前日のエコーでは、技師さんの態度から、もしかしたら?と疑ってしまった。

ここのところ、ちょっと肩が凝っただけでも、ただのスマホ見すぎの眼精疲労でも、転移?という二文字がよぎり、びくびくしていた…。

血圧だけが低く、上が80しかないと看護師さんが心配してくれていた。

いつもより少し低いだけなんだけど、しんどくて説明する余裕はなし。

もう少し下がると、吐き気とかするかも知れないと言われてビビる。

幸い吐き気はしていない。

3年前はひどかったから、吐き気だけは本当に怖かった。

そう言えば確かに、吐き気と頭痛はセットだったから、血圧も関係していたのかも。

3年前の別の病院の対応と、今回の病院の対応を比べると、良くなったなぁと感じる。

薬が良くなったのか、病院の姿勢なのか?はわからないけれど。

腰が痛かったので、下半身を左右に少しずつ倒したりはしたけれど、頭を動かすのは怖くて出来なかった。

頭を少しだけ上げていいと言われて、次に酸素マスクを外して、吸い飲みで、うがいが許された。

うがいが気持ちいい。

飲めないけど、くちゅくちゅするだけで、何だか生き返ったみたいだな、と思う。

体の向きを変えてくれたり、しょっちゅう看護師さんがやってくる。

尿管も、以前は違和感だらけで気持ち悪かったけれど、今回は上手く挿入されているらしく、痛みもないし、いやな感じがしなかった。

『こんばんはー』

と言って夜の看護師さんが入ってきたとき、あーやっと夜になったんだと知り、ほっとする。

交替時間は確か20時だから…。

21時を過ぎた頃、スマホも見て良いと言われる。
(時間がわからないとパニックになる患者さんもいるらしく時計代わりに)

それでも家族に連絡するだけで精一杯。

やっぱりしんどい。

看護師さんは、交替するたびに、わたしの術後の傷を見た。

バリバリっと術衣を開けて、胸帯をパチパチと開けて。

『うん、きれい。さすが○○先生』

なんて言っていた。

わたしにははっきりとは見えない。(寝た体勢なので)

温存なので、パッと見えた感じでは大した変化もないように見えた。

自分の身体だけど、傷を見るのは怖いと思ってしまう。

甲状腺の手術の傷は、喉仏の下に15センチほどの真っ直ぐな一文字。

今もよく見るとわかる傷あと。

それに比べたら、外から見えないし扱いやすいのかも知れない。

ベッドで安静にしている間、うつらうつらしながら、縁起でもないけど、亡くなった人の事を考えていた。

父、母、義母。

ここは、母が亡くなったのと同じ病院。

ああ、あの時、もっとわたしに出来る事があったんじゃないか?

ここに入院したときはもう、末期だと言われた。

本人に告知をする暇もないぐらい呆気なく亡くなってしまった。

わたしは、癌を、早期とまでは言えないタイミングだけど、健康診断で見つけて、根治に向けてなんとか手術にこぎつけた。

わたしは、恵まれている。

わたしは、元気になるんだ。

きっと大丈夫だ。


そんなことを考えていると、いつの間にか眠っていたようで、天井の電気がついた。

つまり午前6時。

あらゆる管を抜いてもらえる時間。

ついにこのベッドから解放される時間がきた。

待ちに待った時間。










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kotorist_ at 15:08|Permalink

2022年02月17日

2022年2月16日水曜日 ついに手術①

それをジャーニーと言うのなら

手術は、まさに、治療のクライマックス。

抗がん剤治療の後に手術を迎えるわたしにとっては、旅の集大成のようなものです。

まだまだ続く旅ではあるけれど、とりあえずはヤマ場です。

しかしー

朝から浣腸という…。

昨夜飲んだ下剤が効かなかったのです。

(出てなくても)そんなに大きな影響はないけどどうする?

と、看護師さんに聞かれましたが、術後、お腹の張りに悩まされそうな気がしたので泣く泣くお願いすることにしました。

同じ病室の方にも申し訳ないような。

すみません。

朝から。

病院とは言え。

大部屋とは言え。


そしてスッキリしたお腹で移動。

点滴を自分で引いて歩いて行きます。

途中で夫と合流できましたが、ほんの少しの時間でした。

『行ってきます』

手を振って笑いました。

もう覚悟は出来ています。

憂鬱なことに変わりはなかったけど、もう逃げられないと思って…。
(いつまで逃げる気なんや!?)

その間に、わたしのパジャマやタオル等のお泊まりセット一式は、一般病棟からHCUに運ばれていました。

看護師さんがオペ看さんにバトンタッチ。

術部やら、術式、名前、生年月日等を確認されます。

そして、手術台に上がると、何だか温かい感触で気持ち良かった。

術衣を脱がされてタオルケットがかけられました。

麻酔科医の先生がやってきて、
『段々眠くなりますよ。
起きた時には終わっているからね。』

あ、あのときの、アルコールを使わないと言ってくれた先生だ。
良かった…。

と思った45秒ぐらいで、わたしは多分おちました。

デジタルの時計を見ていたのです。

それを覚えておこう、と思っていました。


そして、気が付くと、目の前に夫がいました。

どうやらわたしはちゃんと生還したんだな。

と悟り、笑えた、と思います。

夫は何故か、わたしの両目に目薬(涙成分のもの)を差しました。

まぶたがひっついて、開いていなかったのですね。

そして、面会時間に制限があった為、夫は5分ほどで退室しました。

HCU室は、大きなフロアの真ん中に看護師さんのデスクがあり、扉のないナースステーションのようになっています。

その回りに病床が8床あるようです。

1床ずつ、ちょっとした個室のように仕切られていました。

カーテンの向こうに看護師さんたちがいます。

何かあったらいつでも対応してくれそうで安心です。

夜中でも聞こえる人の声や気配が、わたしには安心要素でした。

続きます











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kotorist_ at 22:22|Permalink